太古の人々は、気象の動きや自然の移ろいに、神の存在を感じていました。万物に神々が宿ると信じ、神の力を戴き、神と共に暮らすことを願っていたのです。
そして、神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行っておりました。それに答えて神が降臨される依代が、磐境・磐座であり、神籬であり神奈備でした。神々は、祭祀の度ごとに降臨され、祭りが終わるとお帰りになられました。神聖とおもえる岩の点在している所や巨石、大きな樹木、森、山などを依代として神が宿られたのです。そのほかにも丘、川、滝、海、島というような処にも神々がお降りになられたのですが、現在でも当時の祭祀の片鱗に触れることはできます。こうした磐境神籬は現在の神社の原形といわれています。
『日本書紀』にある高皇産霊尊の『磐境神籬の神勅』によると、「自分は高天原で皇孫命の為に神籬、磐境を起樹てて、斎ひ奉るから、天児屋根命、天太玉命も神籬を捧げ持って地上に降りて、皇孫命の為に斎ひ奉れ。」とあります、これは古代に巨石・岩石を以って周囲を劃して神の降臨を願い祭祀を行なう磐境祭祀と、榊や樹木をたてて、その周囲を青柴垣(青々とした潅木の垣根)で囲み、同じく神の降臨を願い祭祀を行なう神籬祭祀があった事を語っています。
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