岩笛吹奏指導中の筆者(古神道講座)

岩笛に興味をもっていた平田篤胤は、かつて友人にある古社に倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰途に奉納したと伝えられる岩笛を見せられた。重さが三十キロもある大きなもの。吹くと神さびた高い音が響き、確かに趣がある。しかしそれは明らかに人の手に依るもので、古代に作られたものと推測された。篤胤は人工的なものであっても長い年月を経ることでそれなりに風格が備わると思ったようだ。

のちに篤胤は鹿嶋・香取参詣の帰途、弟子が待つ銚子を訪れ、近在の神社の境内に埋もれていた「天の磐笛」を発見する。地元の者の話しでは、海岸のある場所に石が流れ着く「寄り石」という不思議な現象があり、穴が開いて吹けば音の出る石を住民がたまに見つけては神社に供えているという。神社を管理している別当の僧侶と駆け引きしながら磐笛を取得するまでの経過を、同行していた篤胤の二名の弟子が著した『天石笛之記』に詳しい。実物は写真で見たのみだが、大きな枕に穴が空いたような長さ五十センチ近くあるもの。篤胤はこの天の磐笛を得たことが、それまでの屋号「眞菅乃屋(ますげのや)」を「気吹乃屋(いぶきのや・伊吹屋とも)」に変更した由来とされる。

後年、篤胤は更に長さが八十八センチもある巨大な岩笛を取得している。だが材質が軟らかい砂岩なので、移動などで近年にひびが入ってしまったらしい。篤胤が得た磐笛は、人間によって細工されたものとする説もあるが、現在それらは非公開で、二つとも篤胤の子孫が守る平田神社で保管されている。

篤胤の許に出入りしていた本田親徳は、神憑り三十六法を定義し、霊界に正神・邪神の百八十一階級の区分があることを明らかにした神道霊学の最高峰。鎮魂・帰神・太占の三要素を核として「帰神の正法」と「審神学」の霊学体系を確立している。親徳は帰神法に石(岩)笛を用いるには、審神者(さにわ)が天の数歌ともいう「ヒト、フタ、ミ、ヨ、イツ、ムユ、ナナ、ヤ、ココノ、タリ、モモ、チ、ヨロツ」を、心に念じて吹く、としている。その吹きようは、ヒーと長く吹く石笛の響きの中にヒト、フタ、ミ、ヨ…、と数歌を含ませて吹く。これが本田流の石笛吹奏の口伝となっている。

親徳翁が允可(いんか)を与えた四名の高弟には、明治政府で内務大臣を務めた副島種臣と、親徳の後継者と目される長澤雄楯が居る。雄楯は静岡県不二見村の月見里(やまなし)神社を拠点に稲荷講社を表向きに、鎮魂・帰神法の実修に勤しむ。

そして十年後に此処を訪れたのが上田喜三郎こと後の出口王仁三郎。親徳の孫弟子となる王仁三郎は、鎮魂・帰神法と審神学を集中的に学び奥義書を授かる。後に王仁三郎が組織した大本教の分派教団には、現在もここで先師が会得した霊学思想が息づいている。

王仁三郎の自伝ともなる『本教創生記』に、岩笛について次のような記述がある。

長澤雄楯(右) と 出口王仁三郎

「“天の岩笛”なるものは一に“天然笛”と云い、又“石笛”とも称えて、神代の楽器である。之れに口をあてて吹奏する時は、実に優美なる声音を発するものである(略)」そして此れを吹奏するには、余程鍛錬を要し、吹き様で千差万別の音色を出すが、むやみに“ピューピュー”と吹くのは良くない。「“ユーユー”と、長く跡の音を引いて、“幽”と云う音色を発生せしめるのが第一等である。(略)」

岩笛に就いて語られるとき、よく引き合いに出されるのが三島由紀夫の『英霊の聲』。昭和四十一年に刊行された本だが、石笛を吹くと盲目の青年が神懸りとなり、二・二六事件で刑死した将校や、特攻隊の兵士が歌い出すという物語。「石笛の音は、きいたことのない人にはわかるまいが、心魂をゆるがすやうな神々しい響きをもってゐる。清澄そのものかと思ふと、その底に玉(ぎょく)のやうな温かい不透明な澱みがある。肺腑を貫くやうであって、同時に、春風駘蕩たる風情に充ちてゐる。(略)又あるひは、千丈の井戸の奥底にきらめく清水に向って、声を発して戻ってきた谺(こだま)をきくやうな心地がする。」

この一節はあまりにも有名だが、作中の岩笛についての一部や帰神法の描写は、一時期大本教に籍を置き、後に神道天行居を創始した友清歓真の『霊学筌蹄(れいがくせんてい)』を参考にして書かれたことが判明している。

現在、神社本庁に所属している神社では祭式行事に岩笛の吹奏を執り入れていない。宗教年鑑には神社神道系の包括宗教法人が神社本庁以外に十五団体ある。京都の中堅神社をまとめた神社本教という包括法人があり、その傘下の地主神社では新年祭や例大祭で岩笛を吹奏している。神社での吹奏も皆無ではない。青森の神道系教団の松禄神道大和山では、教主が礼拝の度に欠かさず岩笛を吹いている。神奈川県足柄上郡にある神道日垣の庭では神道系の著書を多く刊行しているが、神社界からも注目された『葬禮と祭式と人生』には、神葬祭での岩笛吹奏を細かく定めている。

私共が執行する神葬祭では土笛を使用するが、一般的な神事には岩笛を吹奏している。新教派系の神職養成を兼ねて開催している古神道講座の名称は、「岩笛と古神道斎修会」。岩笛の吹奏は必修である。開講初日に受講生が選んだものを渡しているが、岩笛を講座で取り扱うことなど仄聞しない。

以前、顧問を引き受けている古神道系の教団が神事に岩笛を取り入れたことで、その指導に出向いたことがある。選ばれて初めて岩笛を手にする五十数名の信徒に吹き方を教えたが、吹けるようになった者から順次部屋から退出させた。早くて数分、三十分以上経って残っていた者は二、三名のみだった。岩笛の音を出すのはそれほど難しくはないが、どのような音色を出すのかは難しい。

私共の岩笛は、縄文時代から翡翠を産出している糸魚川河口から採取した天然石に、縄文遺跡から出土した岩笛の経と深さを復元して穿孔したもの。加工は岩笛製作「天珠会」の中西天珠氏。何度か原石の拾得に同行したが、前に造った岩笛を投げて日本海に戻し、祝詞を上げ、それから石を選んで採取している。

縄文の遺跡から出土した人工的に穿孔した岩笛の、普通の石や硬い翡翠製に混じり、なかには古代の蹈鞴(たたら)製鉄跡の気泡で空いた鉄塊や、静岡県の京丸遺跡のように隕石を加工したと思えるものも発見されている。縄文の遺跡から出てきた岩笛を忠実に復元させて吹き鳴らせば、遥か数千年前の緑の大地に鳴り響いていただろう音色に、めぐり合うことが出来る。能管と同じような音色の岩笛は、二万二千五百ヘルツの超音波の波動を発生させるという。この波動は、脳波をシーター波に誘導する効果があるとされる。岩笛を吹くことで知らぬ間に行われる丹田呼吸と相俟って、健康が賦与されるものと確信している。

(奈良 泰秀  H18年3月)