岩笛について
祭祀(まつり)のかたち「磐座」と 心魂(たましい)の覚醒(めざめ)「岩笛」
(一)
この頃、新旧とりまぜて、遺跡発掘と遺物発見のニュースをよく目にします。
青森の三内丸山遺跡の存在は江戸時代から知られていましたが、本格的な発掘研究は、昭和二十年代に入ってからでした。そして、平成六年六月の発掘で、今までの縄文史観は大きく変えられました。
既に農耕が行われ、編布を用い、首や腕、耳などに装身具をつけ、中国をも凌ぐ技術で作られた漆器が見つかった事は、本当に驚きでした。
縄文時代は、一万年以上続いたと言われています。一万年以上という途方もない期間、同一文明が持続されていたという事は、一体なに故なのでしょうか。
三内丸山では、四、五百人規模の人口を保ちながら、千五百年に亘って人々が定住していた事が、確認されています。きょう現在から過去へ千五百年遡ると、聖徳太子が生まれる前頃です。このように長い歳月、同じような環境と習慣が保たれ、生活が続けられて来たのは、どうしてなのでしょうか。驚くと同時に、現代に生きる我々には色々と考えさせられることがあります。
当時の生活を伝える情報はこれからも発見されるでしょうが、人々が気候・風土と融合して一体となり大自然と共に生き、人と人とが協調する暮らしがあったことは想像できます。そこには、現在の私達の持ち得ない豊かな精神性が育まれていたことが、観てとれます。
- 岩笛とは
岩笛は、約5000年前の縄文時代中期頃に使用され始めたと推測される楽器です。
さまざまな自然現象によって小石の一部分に穴が穿かれ、天然自然の楽器としてこの世に生まれたのが岩笛です。やがて縄文人たちは巧みな技術を用い、自然への畏敬をこめて自分たちで岩笛を作り始めたのでした。
もともとが天然自然の石でしたから、他の管楽器のような指穴などありません。しかし穴が一つあいただけのこの石で、1オクターブを上回る音程と旋律を吹き分けることができるのはまさに奇跡の業(わざ)とも言えるでしょう。
- 岩笛の音色
岩笛の音は 素朴なものです。
人工的な楽器のように自由自在に旋律を奏でてくれるものではありません。
しかし、その音色を聞くと、あたかも故郷の母の懐に抱かれたような安らぎを憶えるのは不思議です。古くからこの楽器と親しんだ日本人のDNAを刺激するばかりではなく、その音色を聞いた多くの外国人が「なつかしい音だ」という感想を述べるのは不思議なことです。
それは人間もまた自然の一部に過ぎず、人間の英知も所詮は自然現象のひとつでしかないことを教えてくれるようにも思えます。岩笛の音色があらゆる人間の心の奥底を揺さぶり動かすのは、すべての人間がおなじ自然を共有していることの表れではないでしょうか。東洋思想の「身土不二」(身体と大地は一元一体である)は、まさにこうしたことを指しているのでしょう。
- 岩笛と神道
自然そのものを神として敬ってきた日本では、古くから「不思議な天然自然には不思議な力が宿る」と考えられており、この天然自然の楽器の奏でる霊妙な調べには「音霊(おとだま)」が宿るとされてきました。
この「音霊」の霊力を借りて神霊を呼び迎える儀式は、明治期の本田親徳によって「鎮魂帰神の作法に必要な用具たるべし」と示されているように、現在においても一部の教派系神道に伝承されています。また、その高い周波数がもたらす域内浄化作用は、科学的研究の対象にすらなろうとしています。
- 現代の岩笛
現在では、その素朴な音色を求める方が増えており、天然自然に穿孔した石は求めても得られないようになってしまいました。そこで人間の手によって穴を穿った石が提供されますが、ただ石に穴をあけさえすれば岩笛になるということではありません。そうした石は音を出さないか、あるいはいかにも人工的で無感動な雑音を出すばかりです。自然の摂理と造化の妙を体得した製作者でなければ生み出すことが出来ない楽器、それが岩笛なのです。
もともとが自然の小石ですから、色も形も大きさも、二つとして同じものはこの世に存在していません。同じように演奏しても同じような音色を返しません。そこがまた岩笛の楽しい奥深さでもあります。
当研究所では古神道の祭式にこの岩笛吹奏を積極的に取り入れています。
神道の根本が「自然との一体感を高めること」にあるとすれば、これほど神意に叶う楽器は他にないでしょう。
その音色は自然(神)を喜ばせ、その場にいる人間すべてを一体感の渦に巻き込む不思議な力を示してくれるのです。
(「藤由 越山師」CD解説書より)
かつて、縄文時代は、一万年以上もの永きに亘って続いたと言われています。当時の人々は、自然の恵みや気象の動きに神々の存在を感じておりました。そして、神のおられる自然への感謝と、更なる豊穣の祈りを、祭祀として行っておりました。祈りに応えて、神々がご降臨される神籬・磐境のある聖なる場所(齋庭)で、神々をお呼びするための祭具として、岩笛は吹奏されていました。
『古事記』には、神功皇后ご自身が、ご神霊が御降りになる依代となり、仲哀天皇が琴を弾いてご神霊をお呼びする ― と言う記述がありますが、幕末・明治の神道学者・本田親徳翁は、この琴に替えて岩笛を使用し、神懸り(帰神術)の神道行法を行っております。親徳翁はこれを学会で発表し、岩笛は、現在も重要な宗教楽器として認められております。
従来から岩笛は、自然石に巻き貝の出す酸によって穴が空き、その穴に唇を当て、“吹けば高音を発するもの ― ”と言われています。しかし、縄文の遺跡から、既に人工的に穿孔された岩笛も発掘されております。
現在、この岩笛に就いて神道国際学会会長の中西 旭博士は、次のように述べておられます。
「ひろく、磐笛の扱い方に、既成の規則はない。それが活石であり、且つ、その穴が適切な広さと深さであれば、各自の笛吹く態度の工夫により、ついに高音に鳴り響き、さらに、一連の音楽ともなる。(後略)」
その工夫によって、今回、尺八の名手・藤由 越山師が、たったひとつの穴の岩笛で、曲を吹くということに挑戦しました。我々神職が、祭祀を執り行なう際に吹く幽玄さの音色とは別に、岩笛が、“一連の音楽”ともなり得るというお手本を見せてくださっています。練習することによって、好きな曲がそれなりに音楽として表現できるというメッセージです。
岩笛は、単調がゆえに奥が深い …・と、いえます。吹くときの感情で、哀切さも、激情も、軽快さも、素直に音色に現れます。今回の演奏には、新潟県の糸魚川河口において採取された「活き石」原石に、誰もが吹きやすいように穿孔された岩笛(天珠会謹製)が使用されております。今後、藤由先生始め岩笛愛好の皆さんが、それぞれの工夫で、それぞれの音楽を吹き鳴らし、岩笛が広く社会に啓蒙されることを期待しております。
(解説:天ノ岩座神宮 宮司 奈良 泰秀)
「岩笛の会」は平成12年4月23日に発足しました。
【 発 会 式 】 ※所属・役職(当時)
会 場 : 國學院大學 院友会館 四階大広間
講 話 : 「イワブエについて」 古神道・霊性(シマ)研究家 菅田 正昭 氏
「岩(いわ)の産霊(むすひ) 」 稜威会(みいづかい) 会長 ・ 中央大学名誉教授 中 西 旭 氏
神 事 : 「岩笛の会」 発会奉告 にっぽん文明研究所 代表 奈 良 泰 秀
岩笛指導 :大倭五十鈴会 (おおやまといすずかい)主宰 小 林 美 元 先生
新曲 『岩笛の詩(うた)』 (天珠(てんじゅ) 四十七音) 甲 斐 逸 朗 氏& 鹿恩(かおん) 氏 ほか
付 : 『舞』 宮 崎 祐 子 女史
座談会 : 「岩笛について、語りたい…」
いま、岩笛が、静かなブームを呼んでいます。
一万年の永きにわたって続いた縄文文化期。
神と自然に深く生きていた当時の人々が、神のご降臨を乞い願って使われた岩笛 ― 。
出雲大社から興った二弦の八雲琴に 「岩笛曲(ぶり)」 という歌があります。
三保(みほ)の崎(さき)の あり磯(いそ)の石を 吹きなさば
惟神(かむながら)なる 天(あま)の岩笛
日(ひ)の大神(おほかみ)に 捧げましけむ 神つ代の
事代主(ことしろぬし)の 岩笛ぞ 此(こ)れ
これは、明らかに国学の創設者・平田篤胤(ひらたあつたね)大人(うし)の 「古史傳」 のなかの “事代主神(ことしろぬしのかみ)が天(あま)ノ石笛(いわぶえ)を製(つく)り、皇美麻命(すめみまのみこと)へ奉った。” という記述に拠(よ)っています。
また、明治維新時の神道学者・本田親徳(ほんだちかあつ)翁は、古代に由来する帰神術を体系づけましたが、ご神霊のご降臨をお迎えする際の行法には岩笛を使うべきことを主張されました。以後、これは、古神道系神事の祭具として、ひろく世に認められています。
そして、いまこの楽器は、さまざまなところでその音色を響かせています。
「岩笛の会」は、この岩笛を愛好するひと達が語りあう場をつくり、これをとうして親睦の輪を拡げ、今後のいろいろな活動を、ご参加して頂いた皆さんと一緒に考えたいと思います。
例えば
* 神籬(ひもろぎ)・磐境(いわさか)の跡を探訪しての岩笛吹奏
* 岩笛を吹奏する神事の見学 さらに 参加
* 岩笛の講話(「霊学と岩笛」ほか)
* 岩笛の音楽会
* 岩笛での 自分発見
* 「岩笛の本」の発刊 (“神霊降下の儀式に使用される岩笛” から、“気を鎮め、心 癒される岩笛”、 “アンケート”まで…)
* 岩笛と古代食事
など、など…。