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■ 宗教新聞 神道つれづれ ●55●
旅はひとを変える―。 私にとって、異郷の底辺と同じ視点の寝袋の中から見る景色は、「オルタナティヴな自分自身」―、いまの自分ではない何処かに居る別の自分の存在を、知らせてくれる旅でもあった。その頃はまだ宗教も神道もまったく無縁だったが、旅を続けることで日本人であることを自覚させられていった。 モロッコからヒッチと最下等の客車で移動し、国境を越えたアルジェリアは、マグレブでフランスから最後に独立した国だ。現地民が、独立に反対するフランス植民地軍やヨーロッパ系入植者と熾烈な戦いを繰り広げた。そのときの銃弾の痕跡が、まだそのまま建物や汽車に残っていた。 その隣国は、国名がフェニキアの女神の名に由来するチュニジアである。面積は日本の半分もない小さな国だが、かつては地中海世界の大国として歴史に名を残している。やっとの思いで国境を越え、さらに十数キロ歩くと、タバルカという保養地に着いた。二千五百年前は貿易港として栄えた町だ。そろそろ夏も終わる頃の夕暮れだった。 気が合ってモロッコから一緒に旅を続けてきたのは、イギリスで三ヵ月の語学研修を終えて気ままな旅をしていたI兄弟。そして二週間ほど前に行き会い、タンザニアまで行くけれどアラブのひとり旅は心細いと、途中まで同行することになったTとの四人連れ。 いつも腰に短剣をぶらさげているTは東京銀座・三越裏のフランス料理店の御曹司。柔道二段。明大を四年で休学し、日本から旅に出て南米も廻り一年半が経っていた。 夕闇近い町から近くの海辺に出て、岩陰に野宿の寝場所を確保したが、夕食のために四人の小銭を集めても一人分にも満たない。町の場末で空腹をかかえ、裸電球の灯るバラック造りの安食堂がぽつぽつ並ぶ辺りを行き来していると、五、六人の若いアラブ人とすれ違った。そのうちの一人が足を止め、一瞬肩を落とし、覗くようにして声を掛けてきた。 「日本人か?」。何日振りかで聞く日本語。 「そうだ!」。アラブ人と同じような口髭で、色の浅黒い精悍な感じの男が立ち止まった。Tシャツに半ズボン、素足にゴムぞうり履き。渡りに舟とばかりに事情を説明し、I兄弟の兄は手首から腕時計をはずし、明日銀行でドルを替えてから返すからと、初対面のこの日本人に借金を申し込んだ。私より二、三歳若そうな男は話を聞き、半ズボンのポケットから現地のディナール札を取り出し、何枚かをよこした。明日訊ねて行くからと居場所を聞くと、岬にテントを張っているから来ればすぐに判ると言い、名前はイトウと名乗った。腕時計も私の差し出した千円札も受け取らず、連れの若いアラブ人を促すと行ってしまった。 このカルタゴか古代ローマ帝国の遺跡の向うは、空と海との区別がつかない蒼い世界。 えッ、冗談じゃない!。学生時代に空手部に在籍していたが、ここ何年も稽古などやっていない…。 (剛柔流か?)流派を思い浮かべる間もなく、反射的に身を退き辛うじてかわすが、体勢を立て直す間がないほど三度四度と強烈な蹴りが続いた。(これは本物だ!)。だがもう遅い。何度か転倒し、その度に砂を払い彼と向き合った。(こうなりゃ捨て身だ!)。隙を見つけて相手の胸を目がけて反撃の突きを繰り出すと、避けようとした相手もまた砂に足を取られ派手に転倒した。 「オイ、もう止めよう。日本人同士が怪我をしてもしょうがない」。蹴りを払おうとしてしたたか打った猿臂を押さえ、内心ホッとした。いつの間にか遠巻きにアラブ人の輪に囲まれていた。イトウと向き合い礼をすると、口笛やら喚声が湧いた。 芸は身を扶けるというが、空手にもこんな稼ぎかたもあるのかと感心した。イトウは空手をひろめる活動をしているというが、そのときは武道としての空手を金銭に替えることに複雑な気持ちにもなった。気がつけば武道の空手はいつの間にか精神不在のスポーツ空手となり、K-1では単なる格闘技の一つの技としてあつかわれているが…。 |
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