第42回セミナー 終了のご報告
−これからの教育を考える−
「シュタイナーの世界・理論と実践」
平成17年7月31日(日) 國學院大學 院友会館にて第42回セミナーを開催しました。
東京大学名誉教授 学術博士の新田 義之 氏と著述業・陽明学者、林田 明大 氏 のお二方に講師をお願い致しました。出席した皆様からは大変好評をいただき、スタッフ一同感謝しております。

(右)奈良泰秀代表 (中)新田義之氏 (左)林田明大氏
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『人間学と陽明学に学ぶ』 講師:林田 明大氏
1970年第初頭のころから陽明学に関心を抱きながらも、一方では文豪ゲーテの思想や、ゲーテの思想をさらに発展させた人智学(アントロポゾフィー)という人間学を創始した、シュタイナー教育で知られるルドルフ・シュタイナーの思想にも傾倒しました。当時代々木で、高橋巌先生がシュタイナー研究会を開催していらっしゃいまして、読書会だったのですが、自分も参加していました。
知り合いで出版社を立ち上げる方がいましたので、高橋先生にシュタイナーの翻訳本を依頼していたのですが、なかなか話が進まなかったものですから、それならば自分達でやろうと別の研究会を立ち上げ、シュタイナーの翻訳本を出すために活動に参加しました。
1987年に渡欧し、半年余の間シュタイナーやヨゼフ・ボイスの関係者と交流を深め、情報収集に努めました。
逆に彼等は、私に日本のことを聞きたがりました。そんな活動のなかで、自分は日本人だという自覚を始めてさせられまして、シュタイナー思想に匹敵するような、東洋思考はないものかと思い悩んだのです。そして、欧州滞在中に陽明学の本格的な研究を開始するに至ったのです。
ゲーテ・シュタイナー思想を学んだことで、陽明学の真の姿が見えてきたのでないかと思います。
ゲーテの思想には現象と本質は一つだということがあります、内と外の区別を取り払わなければ、真の確認は出来ないとしています。
通常、人間と物質界との営みは無関係に存在しているという、物事を二つに分ける考え方が一般的ですが、それは錯覚です。
陽明学では“知行合一”“万物一体”という思想があり、一般的に“知行合一”とは言行一致と捉えられていますが、そうではなく、“知”と“行”は別々のものではない。、陽明は心と理、心と万物は一体であるとし、当然思いと行動は一つのものと考えられます。
こうした思想が理解出来て来れば、自分は不幸だから幸せになりたいとか、楽をしたいとかそうした考え方はしなくなります。苦楽を別々に考えなくなりますから。どちらか一方に偏らない、中庸の精神が大切なことなのです。
R.シュタイナーによる自由ヴァルドルフ学校創設の経緯
講師:新田義之氏
ドイツのシュツットガルトにあるヴァルドルフ・アストリア煙草工場の社長 エミール.モルト氏はシュタイナーの社会改革思想に賛同した一人でした。1919年4月、第一次世界大戦終結間もない頃、自分の経営する会社の労働者の為に、シュタイナーに講演を依頼しました。その講演の中でシュタイナーは、“まだ何処にも存在していないけれど、確かに養成されつつある学校”の存在の話をしました。
どのような学校かというと、小学校と中学校と包括した、全ての人間に開かれている12年制の一貫教育の学校です。
工場主であるエミール・モルト氏は、労働者たちの子どもたちのための学校を作る為、直ちに指導をシュタイナーに依頼。ヴァルドルフ・アストリア社の子弟の為の学校であるので、自由ヴァルドルフ学校として設立されたのが経緯となります。
自由というのは、公立学校に課せられている様々な規制から自由であるという意味です。また、この学校で学ぶ子供達が自由に向って開放することを教育の本義としています。
自由ヴァルドルフ学校の設立に当たりまして、まずシュタイナーが行ったのは、教師の選任・人智学などの教育です。彼には、教育問題は教師問題であるという信念がありまして、自分(生徒)自身が教師を選択することを原則としています。教師となる資質とはなにかというと、“育ちゆく人間と好ましい関係を築いていけるか、そして育ちゆく子供達の魂に全身全霊で入っていけるか”これが教師の資質であるとする。
シュタイナーが採用した教師の大部分は、過去に教師の経験のある人達でしたが、採用基準は子供達の心の中に入っていけるであろう原点と入って行こうという意欲でした。
そして、子供の成長の階梯に対応する教育法の研究と開発に努めました。
0歳〜永久歯が生える頃は模倣による成長期です、単に目に見える表面的な面だけでなく、大人の心の動き・心の持ち方も影響します。個人の人格形成に大きな影響を与えるこの時期に、模倣による成長の欲求を充分に満たせないと、意思の無い、希薄な人間に成長してしまうと言われています。
乳歯から永久歯に生え変わる時期は、子供が全面的に心から信頼できる相手の判断を信頼して世界を理解して行きます。前期の模倣による成長の欲求を充分に満たしていれば、この時期の子供は絶対的に信頼できる指導者を求めます。
この時期、教師の言動が子供の心に信頼の念を与えられるか、そして尊敬されるかによって、子供の内面まで入っていけるかどうか決まります。教師自身が子供の人間的な本質に対して、畏敬の念を持てるかということでもあります。
人間はそれぞれの運命を担って生まれてくるのですが、個々の人間の内部にある精神は永遠であり、死ぬと精神の世界へ戻り時期がきたら、また繰り返し地上の身体の中に生まれ変わります。精神の世界では得られない体験を幾度もの地上での生を通して体験して精神は成長してゆく、これの繰り返しなのです。
教師は、子供の一生・運命を担う一つの選択肢としてトライして、自分を信頼し頼り成長していく子供にも、実は自分には見当の付かない深い歴史と秘めた物を持っていて、今もう一度と生を通して成長の段階にあるのだと認識し、そして、子供が、自分の精神は、幾度もの経験と愛、歴史を持っていると感じるに違いない思うとき、この感情が教師へ子供への畏敬の念を呼び起こすのです。
子供はこうした教師の感情を敏感に察知し、教師の指導を絶対に信頼して行くのです。
こうした成長への欲求が充分に満たされて思春期以後、健全な思索と批判に目覚めてまた成長を繰り返していくのです。
−講演内容の一部より− |
− 会場風景 −
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林田明大氏
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新田義之氏
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− 会場風景 − |
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「にっぽん文明研究所」総務
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