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講演 薗田 稔氏
日本の先住民的宗教文化―神道―が世界に認められつつある・・・
一神教であるがために、他宗教を排除することになり、それが争いの理由になることは実に不幸なことです。世界はますます狭くなっておりますが、宗教の共存が国際的に問われるようになって来ました。そんな中でいま、神道が見直されつつあります。
例えば、カザブスタン、多くの民族と宗教の混在した国ですが、国を挙げて宗教問題に取り組み、日本の宗教文化に注目しています。
日本人の豊かな宗教観 「鎮守の森」
「鎮守」とはもともと仏教寺院の土地の地主神を言ってものです。
仏教伝来以前から「カミ」という日本人の古来から続いている神聖感覚がありましたから、仏教寺院の安泰のため、その土地の神に守護願ったのです。
そしてだんだん権門寺社が荘園を全国に開拓したり、或いは荘園を寄進されたりしたときに、自分達の地主神をそういう荘園に祀っていくようになる訳です。そうしますと当然「鎮守」という言葉が広がっていきます。
そして戦国時代から江戸時代になると、もう荘園なんて無くなっているのですが、でも村が営まれれば、そこに「鎮守様がいる」とか「氏神様がある」というのが日本人として当然の宗教観がありますから、「鎮守」という言葉が一般化していったのです。
ですから「鎮守」とはもともと仏教に由来しているのです。
例として「山王」がそうなのですが、比叡山の山王、それから高野山の山王もあります、それぞれ「山の神」ですね。
ですから新しく新田開発された村、たくさんつくられた平野の中の村や町も山と離れてはいても、当然のように森に包まれた鎮守なり氏神をつくり上げてきたことになるかと思います。
「神が豊かな自然に籠もる」という日本人の神聖感覚
日本人の神聖感覚として神や祖先・祖霊にしても“姿が見えない”“隠れて鎮まる”、「秘すればこそ尊い」という宗教観がありました。
それに対し、仏とは姿が見える“偶像崇拝”、つまり形を持っている、御神体を持っているわけです。人間が修行をしてさとりを得た状態が“仏”であり、自分の理想の対象として御神体があったのです。
神とは“うえ・した”の上(かみ)では無く、“かみ・しも”の上(かみ)であり、源(もと)と末(すえ)の関係で上下(じょうげ)ではありません、水源の源の“もと”のことです。豊かな自然の中に存在し、風土の奥に隠された存在なのです。
カミの語源は名詞では“くま”隈なく探す、隈隈しいの“くま”です。動詞では“くむ”、隠れる、籠もるの“くむ”であります。
仏教伝来当時、煌びやかで形のある存在に魅力を感じ、飛鳥・奈良時代にかけて神の像も造らせるようになりましたが、日本人が古来から持っている神聖感覚に依って、人間の目に触れないようにお宮の内陣深く秘せられ、決して人目に触れるような御神体は出ていません。これは今でも神社では固く守られているはずですね。それだけではなく平安時代以降には日本化した仏教、日本仏教も次第に本尊を秘仏化しております。これが海外の仏教寺院とは全く違うところです。
生業と結びついた「鎮守の森」
農山村の場合は、やはり生業と結びついていたと言うことです。それは主として水源なんですね。農業であり、林業であり、漁業ですね、そしてその土地の生業の場を潤す水源に神を祀る。その水源であるということは豊かな森でなければならない、灌漑用の森であるということでしょう。当然、森を豊かにしないと保水能力がないわけですから、そういうところに神を祀るというのはほぼ共通して考えられて来ていた、といっていいのではないでしょうか。
生態系を保護してきた鎮守の森を復活する運動が盛んになった現在でも、毎年東京ドーム13個分の鎮守の森が公共利用などの理由により失われつつあります。一度失った鎮守の森を元に戻すのは、何十年・何百年とかかるわけですが、公共用地としての利用となると神社側でも断り切れない場合もあり、また、維持にも多額の金額が必要など、特に都会では、鎮守の森の保護が難しいのでないでしょうか。
―自然の中に神が籠もる― とは、日本人の生活の中に密着した宗教文化である神道の基本にあるもの。そして、日本人の神聖感覚の基となった、先住民的宗教文化である古神道がいかに自然と密着し共存して来たのか、その宗教的感性を見直してほしいものだと感じさせる講演でした。
「にっぽん文明研究所」総務
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