悠久の響き 「雅楽 partU」 と 「古代の舞」 のお知らせ
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
日本の伝統文化と新しい文明を見据え、日本人の精神性を追求し “日本人の霊性” “日本人の礼節” “宗教のゆくえ” “代替医療と癒し” “麻文化の復権” などを始め、さまざまなテーマで研究会・講座などを企画し各種の活動を行っている 「にっぽん文明研究所」 では、第38回新春セミナーを開催致します。今回は、皆さまから“もう一度再演して欲しい”とのご要望を多くお寄せ頂いた第26回セミナー ― 伝統の音色を身近に ― “甦る悠久の響き” 『雅楽』 の partU と、ご好評を得ました第34回 「和文化の集い」でご披露して頂いた、神代に遡って代々受け継がれて来られた神儀(かむふり)の舞い『古式(こしき)宮舞(たまやまひ)』を、取り上げました。今回は、前回セミナーにも出演された「十二音会」所属の西浦 興一氏と雅楽研究会の方々、神儀古式宮舞本部の舞姫たちと家元・藤原和晃氏をお招きし、雅楽と舞、そしてお話しで雅なひと時を過ごして頂きます。
前回の『雅楽 partT』でもお伝えしましたが、雅楽は宮廷音楽・神社仏閣の儀式音楽として今日まで伝えられてきました。それは、千数百年もの年月を遡る伝統的な音楽・舞踊ですが、その成立は定かではありません。ルーツとしては、仏教が伝来した欽明天皇朝(539年〜571年)の頃、渡来した人達や遣唐留学生が、中国大陸や朝鮮半島、更には印度・東南アジアなどの影響を受けた音楽や舞を、芸術音楽として海外から持ち込みました。それが宇多天皇朝に遣唐大使だった菅原道眞の奏上でェ平6年(894年)、遣唐使制度が廃止され、唐楽(とうがく)の輸入が途絶えます。そしてそれまで輸入されていた外来音楽が、徐々に我が国の固有の音楽や舞いと融合し、古代文化の成熟した平安朝に入って次第に日本化され 「雅楽」 として形成されて行った、ということでしょうか。
平安朝には新作の歌曲も創られるようになります。古い民謡や童謡などの歌詞に中国系の唐楽風、朝鮮半島系の高麗楽風の節回しを付けて歌うもの(声楽)もあり、伴奏には管楽器 (笙・篳篥・龍笛) と絃楽器 (楽琵琶・楽筝) を用います。また、当時「楽制」 に就いて様々な改革がなされ、雅楽を伴奏とする舞楽も、我が国古来の舞態に基づいた国風(くにぶり)舞楽と、外来楽系の伝播経路に基づいた形式の舞楽が左舞 (さまい:唐楽系) と右舞 (うまい:高麗楽系) とに分けられ、左右異なる楽器編成も整備されます。国風舞楽は篳篥・笛・和琴を用い “人長舞・東遊(あづまあそび)・倭舞・久米舞・五節舞” など、漸次宮中に取り入れられ、神道系祭祀用の歌舞として定着して行き、現在に到っております。
また、仏教が伝来したことで、我が国の神々は寺院に倣い建立されるようになった神社に鎮座されるようになります。それまで森羅万象総てに宿るとされた神々は、斎(いつ)き奉る古代の人々の求めに応じ、磐境・磐座の神籬、神奈備の樹木などを依代として降臨されておりました。そのように神社が創建される以前、天運循環のなか、言霊の気の躍動と共に身体の振りをもって大自然に坐します神々に祈念し、場を浄め、政事(まつりごと)の儀式の際に御柱(みはしら)を中心に決めごとに合わせて舞うのが、古儀(いにしえふり : 神振りの舞)・神儀(かむふり)の舞と謂われております。
かつて、この神儀舞(かむふりまい)は同じ言い回しの神振舞と言われておりましたが、江戸末期から神儀古式宮舞(かむふりこしきたまやまひ)と改め現在に到っております。そのルーツを辿れば、遥か太古十代のスメラミコトの御子・天太玉命を祖としております。古代の祭祀にはシャーマン的な者が奉舞したと云われておりますが、その神代からの継承者・第九十八代家元の藤原和晃氏には、「古代神事と法則(のり)の舞」と題したご講演をお願い致しました。幽玄の舞と併せ、是非お話しをお聴きください。
平成17年 正月