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日 本 人 と 麻 「にっぽん文明研究所」 代表 奈 良 泰 秀 かつて我われの遠い祖先が色彩について持つ基本とした色の意識は、四色であったという。はっきりしたものの印しの表現と喩えでの白、暗いものが黒、明るいのが赤、そして曖昧なものが青、の四色。これは形容詞として白い、黒い、赤い、青いといった言い方をされるが、この他に形容詞となるのがあと二色ある。黄色いと茶色い。 この六色から日本人の色に対する想いが読み取れる。白か黒かといった決着のつけ方の表現。明るさの象徴の太陽を描くときの赤。現在でも信号の色を青か緑といったように表現する曖昧さ。そして黄色には黄金と実り豊かな稲穂に憧憬を込めたもの。茶色はお茶や他の植物を煎じて口に入れるもののことだ。 昔、中国の皇帝の喪服は錫衰(シャクスイ)の色と云われた。これが日本に渡り錫紵(シャクチョ)となる。錫衰の衰とは衰えたものの色、粗末なものの色の彙で、生成りの白の麻の色を表す。麻を紵麻(チョマ)とも云うが、手を加えないもの程霊性が高いとされた。葬儀にはこの生成りの白い麻の衣裳を着けるのが本来の姿であり、喪の色は白が基本だったのである。時代と共に錫の持つイメージから鉛色=鈍い色の装束で現在の神職は葬儀を務めるようになる。一般ではグレーの色彩から色を濃くし、悲しみを深める意味で今のような黒に移り変わっていったものだ。白装束で葬儀を行う記録を見たことがあるが、上古の慣わしを残したものだろう。 麻とはミステリアス。美しい黄金色の精麻となり、生成りの白い着衣となり、青みがかった布・青和幣(あおにぎて)となる。平安貴族が大陸からの影響を受けて色や装束が多様化しようとも、いざと言う時は太古からの精神性と霊性の高さを麻に求め、華やかな装束の上衣として素朴な麻の着衣を着けたと云う。 麻の原産地は中央アジア。弥生時代に中国を経て日本に伝わり、衣料の原料として各地に栽培されたと云われて来た。だが現在ではもっと古く、一万年も前の縄文時代の鳥浜遺跡から麻の繊維や種子が発見されたことで、既に縄文期には栽培されていたと云う説が有力だ。縄文の麻こそが原日本人の神性の基層を形成したと誦える者も居る。太古の人々は、真っ直ぐ逞しく成長が早い麻に神聖な生命力を見、衣料や織物で生活に活かされるその恵みに感謝したことであろう。 麻についての記述は、文献等に多く見られる。七世紀に確立した律令制度には「租・庸・調」の三種の徴税を定めているが、各地の物産を収める「調」には麻布が記され、麻は重要な税とされていたことが解る。また平安初期の国家法制書の「延喜式」では神社への幣帛の供進制度を記載しているが、幣帛に絹などと共に麻が挙げられている。奈良朝の元明天皇は、諸国に地名の由来や土地の物産の名目、伝説などの風土記編纂(和銅六年・七一三)の詔を出すが、現存する五風土記のなか「常陸」「播磨」「出雲」などの各地で、麻の栽培についての記事が残されている。八世紀に成った「万葉集」には、約四千五百首の歌が載せられているが、これにも麻の栽培や麻織物の作業に携わった歌が何首も詠まれている。 現在、日本での麻の栽培は、敗戦時の連合国軍が作った占領政策の法律で未だ厳しく制限されている。アメリカで三十年代に石油化学産業が大麻に執って代られることを恐れ、議会に働きかけて麻薬のレッテルを貼って撲滅運動に走ったことを、八十年代の後半に「裸の王様」でジャック・へラーは暴露した。 一片の法律で我われは祖先から伝えられて来た精神性を伴なった麻と断絶した。 神社のビニール製のしめ縄に神気は宿らない。いま、我われは麻の有用性を認め、麻の復権に向けて活動の緒に就く。 |
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