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機関紙 巻頭随想 

       「にっぽん文明研究所」 代表  


いま、葬送儀礼が揺れている。

葬送と儀礼の形態は、その時代の諸相を反映しつつ絶えず変化して来ている。昭和二十年代後半には祭壇で行なう葬儀が登場した。それが様々な付加価値を加えて完成した高度成長期に続き、九十年代以降現在に至るまでバブル崩壊、核家族、高齢化社会といった外的要因と無宗教意識が拡がるなかで、葬儀変容の進行は著しい。

かつて葬儀は、地縁と血縁とで形成された地域共同体にあって相互扶助的に執り行われてきた。それは死者を追悼しながらも、周囲との関わりの再確認をする儀式でもあった。集落社会には村八分という陰湿な習慣が存在したが、葬儀と火事は除外されていたことを聞かされたことがある。

その共同体意識も、戦後の産業構造に伴う地方から都市への人口移動や、複雑化する社会の変革で薄れ、相互扶助的機能も消失していく。同時にそれは先祖代々引き継がれてきた菩提寺と檀家との帰属関係が崩れて、“家の宗教・家の信仰”の喪失へと繋がる。

現在、葬儀と墓を主に必要としているのは団塊の世代、ベビーブーマーだと言われている。高度成長期に育ち、新しい価値観を持つこの世代は、個人が選択する葬儀を増やし、いま迄の葬儀の理念をも変えていく。それは従来とは異なってきている死の迎え方が原因ともされる。以前、自宅で死を迎えることは当たり前だったが、現在のそれは二割にも満たず、八割以上のひとが病院で亡くなる。死は家族や他の人間関係の断絶を意味する。病院での人任せの看護は家族の情やひととの絆を希薄化させ、死の無感覚化を促す。

更にかつては一般的に行われていた自宅での葬儀も、今では一割にも満たない。通夜も告別式を兼ねた形態が多くなってきている。葬儀は外注化され、葬儀業者主導で取り仕切られ機械的に進められる儀式に、故人を想い、死を受け入れる時間的余裕などは無い。

死者とそれを看取る者、死者とそれを来世へ送る者との交流が希薄化することで、死は益々無感覚なものとなる。身近な者のとって死者を悼む気持ちは古来より変わらない筈だが、心から死を悲しんでいる遺族は約三割、というデータの数字を見て、ただ暗澹とする。葬儀が単なる死体処理の儀式となっていくことはあるまいが、これからは葬儀は小型化しながらも多様化し、告別式を行なわない近親者のみの“密葬”が、更に多くなるものと思われる。 

 現代の死は、臓器移植のための脳死判定や安楽死、尊厳死など多くの問題点を我われに突きつける。それは日本人の死生観を糾す機会でもある。死と葬送儀礼は表裏一体にあるが、この死生観の根本にある霊魂観・他界観といった観念体系を、今から改めて理解しなければならない。

仏教が渡来し、日本人の持つ祖霊観を習合させてお盆やお彼岸、法事などを仏教行事としたが、いまこそ日本人の普遍的な精神性の規範となる神道精神を見直し、これに拠る葬祭を進める秋と考える。

 しかし神道界において神道葬祭の基本となる霊魂観ひとつにしても、意識統一がなされていない。理論の整理が未だされていないことは、神社界の怠慢としか言いようがあるまい。神道界全体を俯瞰した場合、教派系や神道系教団は教義教則に従いそれぞれが独自に葬送儀礼を行っているが、儀礼に対しての意識統一は諮れるはずだ。私共の研究会では神社界、教派、新教派を問わず志ある者が協調しあい、神道葬祭を世に拡めていくための運動を行っている。


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