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「にっぽん文明研究所」 代表 奈 良 泰 秀 縄文文化期は一万年以上の長きに亘る。 在るがままの自然を信仰の対象とし、共に生きることが総てであった当時の人々は、人間同士が争う武器を持たなかったとされてきた。だが最近、発掘された縄文晩期の人骨から、戦闘の傷痕が認められる、という報道があった。縄文期のあとに現れた弥生文化との習合期に戦いがあったのかも知れない。 コンピューターが弾き出した縄文晩期の日本の人口は、五万七千人と言われている。それが一千年後の七世紀初めの推定は、約五百四十万人。この人口には自然増加率のほか、不自然に多い百五十万人が加えられている。つまり千年の間にこの百五十万人が日本に渡来した人たちと思われる。これは当時の人口比率から見れば未曾有な民族大移動であったろう。原日本人一に対し、渡来系四という推測もあるが、古代から海外からの人やものを受け入れ日本的に同化させ消化する風土は、“和を貴ぶべきこと”としたのも当然の帰着かも知れない。 本来、釈迦の教えの仏教は、霊魂の存在と先祖の関わりを認めない。日本に入った仏教は、古代からの信仰“敬神崇祖”の“崇祖”と結びつき先祖崇拝の日本仏教となった。祖先を崇め、自然を神として畏敬の念を以って接し、祭りを執り行い祈るという普遍的宇宙観が当時の人々を支えていた。 異文化を受け入れ、それを独自な文化・習慣として創出していく日本人の精神性の根底にあるもの。それはこの縄文期から長い間培われ形作られた“敬神崇祖”の思想だろう。 いま、我われは欲しい物や情報をいつでも手に入れることができ、食べたいものを食べ、言いたいこと言い、行きたい処へ行ける。教育を受け、この半世紀以上、他国と戦火を交えることも無く平和で民主的な国民として恵まれた生活をしてきた。 だが、バブル経済の破綻後、ここへ来ても一向に回復傾向の兆しが見えないことで、挫折感と重い空気が漂っている。洪水のような情報から何が本物なのか見つけられず心が満たされない飢餓感に、物質の豊かさと引き換えにしたものが心の貧しさであることに気づき始めた。何処かに“こころ”を忘れてきたのではないか。 見えないものへの焦燥感と将来への漠然とした不安感が増幅していくなか、9・11テロで崩落したニューヨークの世界貿易センタービルに、科学万能と経済優先の西欧型物質文明の瓦解を思い重ねる。 自信を無くしている我われはかつて先祖の心の支えとなった“敬神崇祖”の精神を想い起こすべきだ。 暦の年中行事にクリスマス・イヴやバレンタイン・ディが記されている。だがここにクリスチャン以外の日本人にとって、本物の祈りはない。初詣や七五三で神社への参拝や墓前で手を合わせるとき、そこには真摯な祈りがある。この祈りをいまの世は忘れている。 いまの時代の相応しい“敬神崇祖”の祈りを取り戻すことが、日本の新しい世界が拡がるものと確信する。
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