饒速日尊を祀る石切剱箭神社(大阪府)

記紀にも登場せず謎の多い丹生都比売神だが、なかには、天照大神と姉妹説などもある。大日女姫と稚日女姫という姉妹が戦乱の中国から逃れ、日本に渡って来て稲作や鉄文化を伝えた。国土経営にも尽力し、のちに天照大神と丹生都比売命として語り継がれる、といった説だ。伝説は新たな伝説を生む。現代でも耳目を引く人物には伝説が生まれ、その伝説がひとり歩きする。水銀採掘の氏族に奉じ祀られてきた神は、譬えて云えば、ローカルな地方都市の裏通りで誰も注目されずに居たが、巨人・空海によって都心のメイン通りに連れ出されたようなものだろう。

最近、『先代舊事本紀』(十巻本)研究家の大野七三先生からまたお便りを頂戴した。大野先生はすでに八十代半ば近い。舊事紀研究ひと筋に、永年に亘り情熱をもって取り組まれてきた。舊事紀を見直し歴史の正統性を再確認するためには、よりアカデミズムでの研究が必要であることを訴えておられる手紙だ。舊事紀に現れる饒速日尊の復権がなくては、建国史や古代神道を冒涜したままとなり、国家の尊厳に汚点を残すことになると説かれる。

饒速日尊は神武天皇の即位以来、皇祖神として宮中で祀られてきた。しかし壬申の乱で勝利して即位した天武天皇と当時の権力者たちに、その存在を消された、と主張される。隠蔽のために歴史改竄が行われ、正当化のために編纂された歴史書が『記・紀』の神代巻と考えられる、と言われる。史実を究明し、饒速日尊を皇祖神として崇敬するよう提唱されている。

舊事紀についての偽書説は以前、小欄で触れた。話は飛ぶが、元伊勢の伝承は『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』の記事に負うことが大きい。その記事によって各地にある大部分の元伊勢の伝承がいまに生きている。

だが、倭姫命世記は偽書である。おかしな言いようだが、舊事紀に比べ偽書らしい偽書なのだ。偽書ではあるが、現在それを問題にしようとする空気などは無い。民衆の伊勢神宮への信仰のエネルギーが、また、我われの祖先が培って来た自然のなかに坐します目に見えぬ神へ対する信仰心が、偽書性などを超越して、そのようなことはどうでも良いという雰囲気を作り出している。それはそれで好ましいことだ。

日本人が持つ信仰心は素朴で素直だ。そして大らかで優しい。それならばいっそのこと、倭姫命世記に求められる史実性や神学的教唆を排除し、伊勢神道が鎌倉時代に世に送ったフィクションということに徹すれば、こんなに古代への夢を駆り立てる楽しい本はない。また新しいフィクションが生まれ、それが伝承としてその土地に定着していくだろう。いかがなものか。

しかし、舊事紀の場合は偽書とされても倭姫命世記のそれと意味合いが違う。舊事紀の評価を願う者として再度確認しておきたい。

太平の世となった江戸時代の中期―-。それまで舊事紀は記紀と共に、あるいは記紀より抜きんでた神書として吉田神道や伊勢神道始め、神道家たちに尊重されてきた。この時期、国学復興の気運の高まりと共に考証主義の正統性を追及するあまり、一部の学究者により魔女狩り的な偽書摘発が行われた。古事記序文の偽説が言われ出したのもこの頃からだ。

同じく舊事紀も、推古朝の聖徳太子と蘇我馬子との撰録とされる成立についての記述に、疑問が提される。舊事紀のいう刊行の時期以後に成立を見た記紀や、大同二年(八〇七)に世に出た『古語拾遺』からの引き写しなどもあり、後年に序文の成立記述が付け加えたと思えることで、偽書と断ぜられた。一度噴出するとさらに偽書説が続出する。それにより疑問のある序文だけではなく、本文の内容まで糾弾され価値のないものとされてしまう。永年偽書の汚名を着せられたままその扱いが現在まで続いている。中世までは雑書とされた古事記とても、その整合性や矛盾点を衝かれ、偽書として転落する可能性もあったのだ。

舊事紀の実際の成立は、九世紀の初めから後半ころのあいだと思われる。最近では、本文の内容に就いての文献的信頼性は、以前に比べて回復している。舊事紀を真実の歴史書と信じ、何冊もの関係書籍を出版され地道なご活動をされている大野先生を始め、上田正昭先生(『日本の神々「先代舊事本紀」の復権』や、鎌田純一先生(『先代舊事本紀の研究』)たち学識者にも興味をもたれ、検証研究を発表された結果とも思われる。

本居宣長は、舊事紀が記紀のおなじ内容の記事を同時に取り上げ、“皆本のままながら交へて挙げたる故に、文体一つ物ならず”と、重複や文体の統一性に粗雑さもあると指摘している。だが、巻三の“饒速日の命の天より降り坐す時の事”、巻五の“尾張の連物部連の世次”、巻十の“國造本紀といふ物”の記事は他書には見えず、新たな創作とも思えず、他の古文献から写したものだろうが参考になり助かることが多い、と評価している。巻一の「神代本紀」には記紀とは異なる神代の系譜、巻三の「天神本紀」には物部氏の祖神の饒速日尊降臨に関わる伝承、巻五「天孫本紀」は饒速日尊の子で物部氏祖の宇麻志麻冶命と、異腹の子で尾張氏祖の天香語山命の系譜、巻十「國造本紀」の地方豪族の国造の系譜と制度は史料としても貴重な伝承で、舊事紀の特徴と独自性が明確だ。記紀の記事が正伝でここに見えないものは誤伝とも思われ勝ちだが、記紀には記載がない上古の神々の祭祀と信仰がここに在る。大野先生の益々のご活躍を期待したい。

元伊勢伝承社、皇大神社(京都府)

私共の古神道講座でもかつて『先代舊事本紀大成経』(七十二巻本・神代皇代大成経とも)を科目に取り入れていた。こちらは舊事紀を基にして江戸期に作られた偽書である。随所に見られる諸文献の解説、幕府の詮議を受けた伊雑宮の背景、当時の宗教事情を識るという目的があった。講師には大野先生と同じように四十年近く大成経の研究をされてきた須藤太幹師にお願いしていた。だが残念なことに先年帰幽され、それ以後中断している。

さて、倭姫命の巡幸地にある元伊勢の伝説には、水銀を巡る争いがあったとするところから横道にそれた。だが水銀の鉱脈ではなく、倭姫命の巡幸地はいずれも産鉄地に結びつくと真弓常忠先生は謂われる。しかも注意を要するのは、“それらの地が多くの河流・湖沼の水辺に臨んでおり、「スズ」の採取を行った初期製鉄を想わせる”点で、これは“砂鉄採取よりも一段と古い段階であったことが判明する”のだ。そのことは“神宮の創祁の年代が、帰化系技術者による進歩的な製鉄技術の普及した五・六世紀のことではなく、もう一時代古い、原始的製鉄の時代であったことを示すものと云い得る”。

(奈良 泰秀  H19年3月)