松尾大社(京都)

最近、古いスクラップブックを整理していて、今から14年前の新聞記事が眼に止った。「選択なき現象に無関心でよいのか?」『高齢化社会像を聴く』といったタイトルで、人口問題をテーマとした講演会でのルポ記事だが、これは神職の傍ら、知人の経営する医療関係の新聞社に一時期席を置いた私が取材したものである。

変動する世界で、どのような不測の事態がいつ起きるか判らない。だが、こと人口問題だけは、既に生れた人間の数を基に数字をはじき出すので、ほぼ正確に将来の予測が出来るという。現在の資料を出して比較して見ると、いまの「高齢少子化」の状況を的確に指摘し、諸外国始め我が国の出生率の予想なども、ほぼ正確な数字で表されていた。

我が国は、平成七年(’95)に65歳以上が人口の14㌫を超える高齢社会となった。僅か6年後の平成十三年(’01)には、高齢化率が17㌫を超えた。これから日本は人口減少国となり、今世紀前半で、人口が14㌫減少するという。今後それによって考えられることは、介護の必要度の高い80歳代人口の増加、生産年齢層への社会保障負担の重圧などに加え、特に、国の活力の低下に繋がる労働力不足が、大きな問題になるとされている。

しかし、現わされた数字や将来の予測は、現在の状況から判断する現実とでは、どうも乖離したものがあるように思えてならない。

’70年に万博が開催された頃、我われは海外からやって来た外国人を物珍しい眼で眺めていたが、いまは日常、外国から来た東洋系の顔立ちの人や肌や言語の違った人たちと接することが、珍しいことではない。彼等もあまり違和感なく社会に溶け込んでいる。

島国で60年近く戦争に関わることもなく平和に生活をしてきた日本人に、“移民”という言葉は、アレルギーを起こさせる。国民に混乱の不安を感じさせないという配慮からか、政府は移民政策に厳しいという姿勢を、我われは潜在的に思い込まされて来た。

だが、現在の社会を見れば、なかば移民を受け入れているように思う。長期であれ短期であれ、海外から来た人たちが、工場や工事現場や飲食店で働き、そこの労働力になっているのは誰もが知っている。今後、高齢少子化で得られない労働力を求め、海外に移転する企業が増え、国内では不足する労働力を補うために、海外から来る人たちをますます必要とするだろう。これからは、どのようにその人たちと共存して行くかが問題だ。

かつて古代では、大勢の渡来系の人たちが海を渡り日本にやって来て、定住した。一説では、縄文晩期の我が国の人口は六万弱だったという。それが千年後の七世紀初めには約五百四十万人。国内の自然増加率から考え、約百五十万人の不明な増加があり、この百五十万人が千年の間にこの国にやって来た渡来系の人たちと思われる。

縄文期から長い間培われた我が国の精神風土は、人も異文化も受け入れ、それを以前から在るものと融合させ、独自の文化・習慣を創出させていく能力を持っている。神話には中国や朝鮮半島を始め、インドネシアや南の島々と共通する要素も見られ、神社の縁起には渡来系の人たちの影響が色濃い。古くからある神社の多くは、渡来系の神や人を抜きにしては語れない。朝鮮半島から対馬海流を北西に季節風が吹く能登半島では、神社のご祭神の八割が渡来系の神とも謂われている。

五世紀に新羅から渡来した秦氏は、農耕や製鉄、機織、養蚕などを伝えたが、醸造の神として名高い京都最古の神社・松尾大社を総氏神として尊崇した。同じく秦氏は、稲作豊穣祈願を以って伏見稲荷大社を起源させ、これを奉斎したが、その後の稲荷信仰は様々な形態に発展し、現在の分社は全国で三万を超えている。また、四万余社で神社では一番数の多い八幡神社の本宮・宇佐神宮の創建にも渡来系の辛嶋氏が関わったとされている。関東では高麗神社が、来日して武蔵国を開発した高句麗の王族を祀り、その祭祀を執行する子孫は五十九代を数えている。

このように渡来系の人たちと神社との関係は深い。当時はそのような人たちによっても独自に『祭り』が催され、様々な歌舞音曲なども奉納されただろう。
人口が減少し、家系が絶えて行く家が増えるなか、我々は少しでも伝統と文化を後世に伝えたい。いまの神社界に活気はないが、新しい『祭り』を創って根付かせてはどうだろうか。神社は新たな渡来人というべき海外からの人たちを招き入れ、それぞれの母国の特色を加味し、日本の文化と融合させた祭事を創り後世に残す。何れは故国に帰る人も居るだろうが、日本に骨を埋める人も居るだろう。祭りが三世代、四世代と引き継がれて行けば、それはひとつの伝統として残る。いま迄とは違った新しい活力を得て、若者の調査で“街にいらないもの”の中に入る神社が、もう一度眼を向けられる機会になればと思う。

(奈良 泰秀  H16年2月)