8月は葉月と言います。暑さ厳しく、気候的には一年で最も暑い月ですが、暦の上では上旬に秋に入ったことを告げる「立秋」(今年は8月7日)を迎えます。この日を境に暑中見舞いも残暑見舞いに変わります。
まだまだ暑いとはいえヒグラシが鳴き始め、お盆が過ぎると徐々に大気が澄んで向日葵(ひまわり)のうえを涼しい風が渡り、次第に秋の気配を感じさせます。
葉月の謂(い)われは、木々や植物が満ちそだち葉を落とす月、或いは葉落ち月が略されたとも言います。アイヌの人たちは、「木の葉がはじめて落ちる月」「木の葉が盛んに落ちる月」「鮭(しゃけ)が来る月」「海が凍る月」というように、自然現象から各月を判断する原始的な自然暦を使っていましたが、そこから転じたようにも思えます。また葉月は、稲穂が熟す月の穂張(ほは)り月がなまったという説もあります。ほかに秋風月(あきかぜづき)、萩月(はぎづき)、桂月(けいげつ)、雁来月(かりくづき)、木染月(こそめづき)、月見月(つきみづき)など、秋の風情を感じさせる月名が多く見受けられます。
8月は旧盆の帰省ラッシュが起きます。お盆は祖先の霊を迎えて供養する仏教行事です。団塊の世代の親たちが都会の出てきて一生懸命に働き、お盆には故郷に帰ってお墓参りをする風習が、かつて民族大移動などと言われました。団塊世代の子どもたちの時代になって都会での葬儀が多くなり、故郷の菩提寺との関係が希薄になりましたが、それでもまだお盆の風習は根強いものがあります。
お盆の行事はもともと旧暦の7月15日でしたが、地方によって旧暦、新暦、新暦からひと月遅れなどに分かれて、その日程はさまざまです。沖縄のように頑(かたく)なに旧暦で行ない、年毎に日程が変わり、今年のように9月にずれ込む場合もありますが、いまは新暦からひと月遅れが主流のようです。明治6年に今の暦が採用されてから140年近くも経っているのに、ずっと混乱が続いています。明治のはじめに旧盆行事廃止の勧告もありましたが、長いあいだ培われてきた習俗は、一朝一夕(いっちょういっせき)には変わらないということでしょう。
お盆は、サンスクリット語の古典言語である梵語(ぼんご)の、地獄の餓鬼道に堕(お)ち、倒懸(とうけん)という逆さ吊りの苦しみから救うという意味のウッランバナが漢語に音訳されて盂蘭盆会(うらぼんえ)となり、略されて盆になったというのが通説です。
釈迦の弟子の目連(もくれん)が、死んだ母親が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを知り、釈迦に救う教えを請います。すると釈迦は、安居(あんご)という禁足修行の90日間が終わる7月15日に、母以外にも世の苦しんでいる七世前から現在までの父母のために、百味五果の飲食物を盆器に供え、十方の大徳ある衆僧たちを供養するようにと言われます。実行すると餓鬼道の母親は救われたと『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』にあります。
しかし、お盆の行事の起源は本来、釈迦の教えとは無関係でした。盂蘭盆経には釈迦や仏弟子が登場しますが、これは釈迦の経説ではなく、儒教の親孝行の道徳観をベースにして古代中国で成立した偽経なのです。偽物のお経と言っても広く世に流布し、中国に古くからある「中元」の習俗も取り入れ、仏教行事の盂蘭盆会として定着していきます。
中元は道教の行事で、旧暦の1月の上元、7月の中元、10月下元の「三元」の、満月の15日にそれぞれの意味をこめて祝う行事でした。上元は福を得るため、新年最初の満月に祝う星祭り。下元は物忌みを行ない除災の祭り。中元は贖罪の日で、一日中火を燃やし、神に供え物をして祝い、両親に感謝して食べ物を贈り、精霊にも供え物をする習慣です。中元は、日本では両親からお世話になったひとへ物を贈る現在の習慣に変わりますが、この火を灯し、精霊に供え物をする習慣は、盂蘭盆の仏教行事と習合します。
日本では、日本書紀に7世紀の斉明天皇の条に盂蘭盆の記述があり、8世紀中ごろからは宮中行事として断続的に行なわれました。古来の祖霊崇拝と習合した日本のお盆行事は、時代と地域によって一様ではありません。一般的には、祖霊を13日の夕方に苧殻(おがら)や松明を燃やす「迎え火」で迎えます。14日、15日は「精霊棚」や「盆棚」に祀り、苧殻の箸を添えて食べ物や花を供え、僧侶を招いて読経してもらいます。これが「棚経(たなぎょう)」です。胡瓜(きゅうり)を祖霊が乗る馬、茄子(なす)は荷を運ぶ牛などに見立てて作るところもあります。そして、16日にはまた苧殻や松明を燃やし、「送り火」で祖霊に還っていただきます。京都の大文字焼きや五山送り火は有名です。精霊棚の供え物と一緒に祖霊を川や海に流して送る「精霊流し」をするところもあります。
また、母親を救われた目連が喜び踊ったことが盆踊りの起源とされますが、日本には平安中期の空也上人の踊念仏に盆踊りルーツ説があります。東北地方はじめ各地で郷土色豊かな盆踊りと夏祭りが見られます。これが終わると本格的な収穫の秋を迎えます。
(奈良 泰秀 2009年8月)